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東京高等裁判所 昭和51年(ラ)1094号 決定

抗告人

右代表者

福田一

右指定代理人

小沢義彦

外五名

相手方

鱸久子

右代理人

藤谷正志

外二名

主文

原決定を取り消す。

相手方の本件文書提出命令申立を却下する。

理由

一抗告人は主文同旨の裁判を求め、抗告人及び相手方の主張は、別紙「抗告の理由補充書」及び「抗告の理由補充書に対する意見書」記載のとおりであるが、抗告理由の要旨は、相手方は東京地方裁判所昭和四八年(ワ)第六六五三号損害賠償請求事件の訴訟進行中、立証のため必要であるとして、抗告人所持にかかる相手方が人事院に申立てた災害補償の審査申立について災害補償審査委員会が作成した調書(立入検査、事情聴取等の調査記録を含む。以下同じ)を、民事訴訟法第三一二条三号前段及び後段に該当するとして、提出命令を申立てたところ、原審は右調書を同条三号後段の文書に該当し、しかもその提出は同法第二七二条の趣旨に反するものでないとして、右申立を許容し、抗告人に対しその提出を命ずる旨の決定をした。しかしながら右調書は同法第三一二条三号後段の文書に該当せず、また同法第二七二条の趣旨に照し、抗告人において提出すべき義務のないものであるから、原決定はこれを取り消し、本件申立を却下すべきであるというのである。

二一件記録によると、相手方は関東信越国税局管内の川口税務署及び西川口税務署において、過重な加算機専担業務を課せられ、そのため頸腕症候群等の傷害を被つたとして補償を求めたところ、公務災害補償の実施機関である国税庁は、相手方の傷害を公務上のものと認めなかつたので、相手方は人事院に対し、審査申立をしたが、人事院は相手方の申立を棄却する旨の判定をしたため、相手方は抗告人に対し国家公務員災害補償法(以下災害補償法という)及び国家賠償法に基づき、財産上の損害の外、慰藉料を請求し、その発生原因の一つに、人事院の違法不当な手続によつて精神的損害を被つたことをあげ、この事実立証のため必要であるとして、災害補償審査委員会が作成した調書を、民事訴訟法第三一二条三号前段及び後段に該当すると主張し、その提出命令の申立に及んだところ、抗告人はこれを争い、また守秘義務があると主張していることが明らかである。

三災害補償の実施につき不服のある者は、人事院に対して審査の申立をすることができ、人事院は審査申立があると、これを人事院の職員及び学職経験者からなる災害補償審査委員会の審理に付し、右委員会は事実調査、実地調査を行い、その調査結果に基づいて審理し、その審理の内容の概要及び委員会の意見を記載した調書を作成して、これを人事院に提出しなければならず、人事院は右調書に基づき判定を行うべきことになつている。

このようにして行われた人事院の判定は、行政庁としての見解を表明することにより、当該公務員に対する災害補償を簡易迅速に解決するための措置にすぎず、災害補償請求権の存否に何ら法律上の影響を及ぼすものではないから、人事院が相手方の本件申立を棄却したとしても、相手方の災害補償請求権につき何らの消長を来たすものではないのである。そして審査申立人から審査申立があると、人事院は何らかの判定を行うべき義務を負うことはいうまでもないことであり、さらにまた人事院が審査及び判定を行うに当り、それが適正に行われなければならないこともまた自明の理であつて、審査申立の審理は書面により、申立人および実施機関は証拠書類その他の物件を委員会に提出することができ、申立人には口頭で意見を述べる機会が与えられる外、申立人の関与は許されておらず、申立人は判定の適正に行われることを要求しうる権利を有するものではなく、従つて本件審査手続の過程において、審査申立人である相手方と人事院(抗告人)との間に、審査手続の適正に関する特定の法律関係が発生するものではない。

四本件調書は、人事院が災害補償審査申立について審査及び判定を行うに当り、その補助機関である災害補償審査委員会がその行つた審理の内容の概要及び委員会の意見を記載したものであり、規則上その作成を義務づけられたものではあるが、上来説示によつて明らかなように、審査申立人たる相手方がその記載内容につき実体的利害関係を有するものではなく、右調書はもつぱら、右委員会の人事院に対する報告ないし意見を伝達するための手段としての内部的文書であるというべきである。

五国家公務員法第一〇〇条四項によると、人事院が調査または審理を行う際に、陳述なし証言を求められた場合には、守秘義務を理由にこれを拒否できず、また人事院に対し、陳述ないし証言を行わなかつた者は、罰則の適用を受けるものとされているから、法廷等において陳述ないし証言を拒否されるべき事項であつても、人事院の調査または審理なるが故に陳述ないし証言がえられることになつている。そして民事訴訟法第三一二条による文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき点において、基本的には証人義務と同一の性格を有するものであるから、文書の記載内容が国家の秘密、公共の利益あるいは職務上の秘密にわたる場合には、同法第二七二条ないし第二七四条及び第二八一条の類推適用により、文書提出の義務はないものといわなければならない。

しかるところ、本仲調書中には、前記委員会が相手方の上司及び同僚らから、相手方の従事した業務、処理した業務量、勤務状況、執務環境、健康状態等につき調査した供述書や、相手方を診療した医師らから、診療経過、医学的所見等につき証言を求めこれを記載した供述書が含まれ、これら供述書中には、相手方の上司及び同僚の公表を望まない個人的知見、相手方を診療した医師の職務上の秘密にわたる事項が含まれていることは当然予想され、しかも前記委員会に対する上司及び同僚の供述は、その供述内容を外部に公表しないことを条件としてえられたものであることが、記録上明らかである。

しかるに本件調書が法廷に提出されることになるとすれば、本件調書に含まれる右供述書も当然公表され、その結果民事訴訟法第二七二条以下の規定の趣旨が没却されることになる。また、委員会は供述者に対する右約束を破ることになり、今後関係者の自由で積極的な協力がえられなくなつて、右委員会の審査手続に支障を来たすことも考えられる。のみならず、災害補償の審査は審査申立人の身体的精神的状況の全般の検討が必要であるから、調査は審査申立人の個人的な秘密にも関係し、これに対応して、委員会の調査を受ける証人等も公表を望まない証人等の個人的秘密ないし職務上の秘密にわたる知見につき陳述ないし証言を求められることになるのであつて、これらが公表されるとなれば、調査に協力した関係者の個人的秘密が公表されることゝなるのであつて、委員会の有する権限が非常に大きいことゝ対比し、審査申立人は本件調書の提出を求めていることにかんがみ、その個人的秘密は別とするも、証人等の個人的秘密を守ることは当然のことであるから、右審査については、抗告人は守秘義務があるというほかはない。そうすると、本件文書を所持する抗告人は、右供述書を含む本件調書を公表する自由を有しないものというべきである。

六以上を総合すると、本件調書は民事訴訟法第三一二条三号後段の文書に該当せず、文書提出命令の対象とならないものと解するのが相当である。

さればこれと異なる見解の下になされた原決定は不当であるからこれを取り消し、本件文書提出命令の申立を却下することとして、主文のとおり決定する。

(渡辺一雄 田畑常彦 丹野益男)

抗告の理由補充書、抗告の理由補充書に対する意見書〈省略〉

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